辛垣城(からかいじょう)~三田氏の終焉の山城
東京都青梅市にある辛垣城へ行った。(2007年2月)。1560年代に三田綱秀が築城したとされる。
上杉謙信が関東に進出してきたため、三田氏は上杉方につき、北条氏から離反した。1561年に上杉氏が撤兵したため、北条氏から睨まれる立場となり、勝沼城から堅固な山城である辛垣城へと居城を移した。
1560年代(1561~1563年ごろ)に滝山城主の北条氏照によって落城、三田氏は滅亡した。
とりあえず、山頂付近にある案内板の近辺ではゴツゴツした岩が並ぶ。江戸期以降に採石場として利用されたため、はっきりした辛垣城の遺構が分からない。郭、空堀、土塁などの遺構がまだあるらしいが、ちゃんと見てなかった。
案内板にはこうある。
「ここ辛垣山(標高450メートル)の山頂には、青梅地方の中世の豪族、三田氏がたて篭った辛垣城があり、市内東青梅6丁目(旧・師岡)の勝沼城に対して西城と呼ばれた。1563年、八王子の滝山城主北条氏照の軍勢に攻められ落城、三田綱秀は岩槻城に落ち延びたが同年10月にその地で自害し、三田氏は滅亡した。城跡にあたる山頂の平坦部は大正末期まで行われた石灰石の採掘により崩れ、当時の遺構ははっきりしないが、堀切や堅堀をとどめている現状である。」
三田綱秀は岩槻城の太田資正の元へ落ち延びたようだが、太田資正ら里見軍が第二次国府台合戦で北条氏に敗退したため助力を得られなかったのだろう。
軍畑駅から雷電山を登り、その先の山が辛垣城である。なので、登城なら二俣尾駅のほうが近い。軍畑(いくさばた)という地名は、辛垣合戦に由来すると言われている。
軍畑駅。史跡としては鎧塚が残り、辛垣合戦で討ち死にした兵士や刀・鎧などの兵具を埋葬した塚だといわれる。高さ8.8メートル、直径30メートルの塚の上には鎧塚大明神の祠が建つ。見に行きたいところだが青梅マラソンによって道を渡れず断念。
追記:2016年11月に、再び辛垣城に訪れている。
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